公益財団法人日弁連法務研究財団では、平成27年2月28日に御逝去されました元最高裁判所判事・弁護士滝井繁男先生の遺言に基づく活動の一環として、「滝井繁男行政争訟奨励賞」を設置し、行政争訟の活性化の実現のため、優れた研究や顕著なる功績を残した方又は団体を表彰しております。
このたび、令和4年度「滝井繁男行政争訟奨励賞」の受賞者について、下記のとおり決定しましたので、お知らせいたします。
第1 令和4年度「滝井繁男行政争訟奨励賞」受賞者
- 研究部門 長谷川佳彦 氏(大阪大学大学院法学研究科准教授)
- 実務部門 生活保護基準引き下げにNO!全国争訟ネット(代表 尾藤廣喜弁護士、竹下義樹弁護士)
第2 受賞理由
1. 研究部門 長谷川佳彦 氏(大阪大学大学院法学研究科准教授)
長谷川佳彦氏は、2002年に京都大学法学部を卒業、2004年に同大学大学院法学研究科修士課程を修了して、同研究科博士後期課程に進学した後、2010年3月に同大学で博士(法学)の学位を取得し、関西大学法学部専任講師・准教授を経て、2011年から大阪大学大学院法学研究科准教授を務める若手の行政法研究者である。
長谷川氏は、ドイツにおける仮命令制度(我が国の仮の義務付け・差止め制度を包括する制度)の審理構造に関する判例・学説を詳細に考察する論稿(「仮命令決定の審理構造」)を皮切りに、仮命令制度と本案訴訟の関係に関するドイツ法研究(「ドイツ行政裁判所法における仮命令手続と本案訴訟の関係に関する一考察」)、及び、これらドイツ法研究を踏まえて、我が国の仮の義務付け・差止め制度の性質及び解釈論上の論点を考察する論文(「行政事件訴訟法における仮の義務付け・仮の差止め制度の研究」、「仮の救済」)を上梓した後、ドイツにおける行政訴訟類型論の歴史を丹念に分析する論文(「ドイツにおける行政訴訟の類型の歴史的展開」)を公表してきた。その後、先願主義に関するドイツ法研究「競願関係における先願主義について」、「続・競願関係における先願主義について」)も開始している。
本選考委員会は、次の理由から、長谷川氏は滝井繁男行政争訟奨励賞にふさわしいと考えた。
第1に、行政訴訟における仮の救済は、我が国における行政訴訟制度整備の出発点とも位置づけられるべき制度であるにもかかわらず、これまで、比較法研究が十分に進んでいなかったところ、この問題につき分厚い蓄積のあるドイツ法について、第二次世界大戦前からの判例・学説の推移を分析することで、我が国の仮の救済制度を論じるに当たっての新たな視角(裁判所の選択裁量の在り方や、申立てから決定の間に生じ得る申立人の不利益への要対応性など)を抽出することに成功している。
第2に、我が国行政事件訴訟法における仮の救済制度全般について、1962年の同法制定時、及び、2004年の同法改正時における立案過程や議論状況、さらには、同改正法施行後の判例を分析した上で、その特質を、ドイツ法との比較を通じて明らかにし、さらには、現行制度の解釈・運用における留意点を様々な事案類型を想定しつつ詳細に指摘する(利益較量の在り方や、本案勝訴の見込みとの関係について等)だけでなく、立法論における具体的視点(第三者との利益調整の在り方、執行停止原則の採否判断における考慮要素など)も提言している。
第3に、ドイツの行政訴訟制度がラント及び占領地域ごとに展開し、権利保護の観点から訴訟類型の整備・拡大を重ねてきた歴史を分析することで、常に論争されながらも制度改革につながりにくい我が国の現状に変化をもたらすための基本的考察視角(訴訟類型拡大と権利保護機能との関係、訴訟類型制度拡大と訴訟類型間の理論的整合性如何)を析出している。
本選考委員会としては、長谷川氏が、仮の救済論や訴訟類型論という、我が国行政訴訟論における中核的な論点のみならず、行政訴訟に関するテーマ全般について、ドイツ法研究から得られた知見を踏まえつつ、立法論・解釈論の両面における新たな提言を今後も継続していくことを期待したい。とりわけ、ドイツ行政訴訟類型論を論じた論文の末尾において今後の検討課題として挙げている、訴訟類型と実体法の相互関係の分析や、抗告訴訟と当事者訴訟の概念及び関係の研究は、行政訴訟全体の活性化につながるのものとして、その成果の公表が待たれるところである。
以上から、長谷川氏は、「行政法の基礎理論や立法論・解釈論に関する論稿において、優れた着想や分析を示す成果を発表し、今後の行政争訟等の発展と国民の権利救済に寄与する活躍が期待される若手の研究者」にまさしく該当し、本賞の受賞者にふさわしいものと考える。
2.実務部門 生活保護基準引き下げにNO!全国争訟ネット(代表 尾藤廣喜弁護士、竹下義樹弁護士)
平成25年、厚生労働大臣が行った生活保護基準の引き下げは、削減幅が平均6.5%、最大10%に及ぶ大幅なものであり、生活保護利用世帯の96%、200万人以上の生活扶助費に大きく影響するものであった。
これに対し、全国29の都道府県で30の原告団・弁護団が結成され、引き下げられた生活保護基準に基づく保護変更決定の取り消しを求める訴訟が順次提起された。「生活保護基準引き下げにNO!全国争訟ネット」(以下「全国争訟ネット」という。)は、各地での争訟(訴訟及び審査請求)活動を行う弁護団、弁護士の連絡調整活動等を行う等を目的として結成された任意団体である。
全国争訟ネットの活動の下、「生活保護基準引き下げ違憲大阪訴訟弁護団」(団長:丹羽雅雄弁護士)、「生活保護基準引き下げ違憲熊本訴訟弁護団」(団長:加藤修弁護士)、「生活保護基準引き下げ違憲東京訴訟弁護団」(団長:宇都宮健児弁護士)、「神奈川生存権裁判弁護団」(団長:井上啓弁護士)は、これまでに、厚生労働大臣による生活扶助基準の改定の違法性を認めて保護変更決定処分を取り消す旨の4つの地裁判決を勝ち取っている。大阪地判令和3年2月22日、熊本地判令和4年5月25日、東京地判令和4年6月24日、横浜地判令和4年10月19日である。
一連の訴訟の争点は、生活保護法8条1項の委任に基づいて厚生労働大臣が行った生活扶助基準の改定について、その裁量権行使が違法であったかどうかである。厚生労働大臣に広範な裁量が認められている生活保護基準に関する訴訟において勝訴判決を勝ち取ることは極めて困難であり、勝訴判決は、老齢加算廃止訴訟の福岡高裁判決(福岡高判平成22年6月14日)以来である。生活扶助費本体について言えば、朝日訴訟の第一審判決(東京地判昭和35年10月19日)以来である。
厚生労働大臣の生活扶助基準設定の裁量に関する先例として、「統計等の客観的数値等との合理的関連性や専門的知見との整合性の有無等」について審査するとしたいわゆる老齢加算訴訟の最高裁判決がある(最判平成24年2月28日民集66巻3号1240頁及び同年4月2日民集66巻6号2367頁)。上記の大阪地判、熊本地判、東京地判、横浜地判は、各事案がこの最高裁判決の射程範囲内であると判断した上で、今回の生活扶助護基準の改定が、統計の客観的な数値等との合理的関連性や専門的知見との整合性を欠いているとして、裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したもので違法であるとの判断を下した。殊にいずれの判決も、物価下落により所得の実質的増加があったとして物価下落率を反映させたいわゆる「デフレ調整」については、下落率の算定基準時や下落率の元となった物価指数について、種々の統計資料等からそれらが不合理であるという判断を下している。
裁判所がこうした判断をしたことは、原告代理人らの緻密かつ熱心な主張立証活動の成果であり、こうした訴訟活動が生活保護分野における新たな展望を拓くものとして評価されるべきことは明らかである。行政訴訟におけるあるべき主張立証の在り方を示している点を考慮して、判決が確定していない段階ではあるが、「法律実務の改善に顕著なる功績を残し、行政争訟等の発展と国民の権利救済に寄与したもの」と認められ、本奨励賞の対象としてふさわしいものと判断した。
また、一連の勝訴判決の背景には、各地の弁護団が、全国の要保護者の思いを全国的な運動として多数の審査請求および訴訟活動に結び付ける稀有の機動力を発揮したことがあったと考えられる。これら各地の弁護団を繋ぎ、互いに連携する要となった全国争訟ネットの功績は極めて大である。そこで、現時点で勝訴判決を勝ち取った四弁護団のみならず、この問題に取り組む全ての弁護団、弁護士の活動を称えたいという意味で全国争訟ネットを受賞対象者とすることとした。